第30回 3D教育研究会

2025年3月8日

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ご挨拶

日頃より、株式会社KA教育の教育活動にご協力を頂き誠にありがとうございます。この度『第 30 回 3D 教育研究会』を開催することが出来ました。『現在求められている探究活動とは』と題し、順天中学校・高等学校 教育支援センター長 片倉 敦先生による講演が行われました。開催時のレポートを作成致しましたので是非とも周囲の 先生方へご回覧頂ければ幸いです。

 21 世紀を担う生徒達にとって、『3D 教育プログラム』が、少しでもお役に立てればと 願う次第でございます。

 今後ともよろしくお願い申し上げます。

2025年 3 月吉日
株式会社KA教育
代表取締役 菊地 淳 

第1部「講演会」

開会の挨拶

3D教育研究会 副会長 樋口 元 先生(前京華商業高等学校 校長)

皆さま、本日はお集まりいただきありがとうございます。

私は京華学園の京華商業高等学校で校長を務めておりました、樋口と申します。どうぞよろしくお願いいたします。 

本日は、第30回という節目を迎えるにあたり、記念講演という形でお時間をいただいております。

長年にわたり「3D教育研究会」の会長としてご尽力くださった、順天学園 順天中学高等学校 教育支援センター長 片倉 敦先生をお迎えし、ご講演をいただきます。

片倉先生は、順天学園において教頭、副校長として長年ご活躍され、教員の皆様を力強く導きながら、学園の発展に大きく貢献された先生です。

そして今回の第30回をもちまして、この3D教育研究会の会長をご勇退なさることとなりました。長年のご尽力に心より感謝申し上げます。

本日の講演テーマは、「現在求められている探究教育・探究活動とは何か」です。

先生からお話をいただいた後には、皆さまからのご質問もお受けする予定です。ぜひ積極的にご参加ください。

それでは、片倉先生、どうぞよろしくお願いいたします。

講演

順天中学校・高等学校 教育支援センター長 片倉 敦 先生

ご挨拶~教育支援センターという新たな役割について 

皆さん、こんにちは。

本日はご参加いただきありがとうございます。先ほど司会の樋口先生からご紹介がありましたとおり、私は今年から「教育支援センター長」という役職を務めております。

これまで副校長を務めてまいりましたが、今年度から新しい立場で学校の運営や支援に携わっています。

「教育支援センターって何をしているのか?」と興味を持たれる方も多いと思いますので、そのあたりからお話を始めたいと思います。

本校では、生徒募集や広報活動、教員の採用、そして北里大学との高大連携の準備など、さまざまな課題があります。

来年度からは北里大学の附属校となるため、その接続や教育方針の調整なども重要なテーマになっています。

こうした業務を現場の先生方が、授業や生徒指導と並行して行うのは非常に大変です。

公立学校の場合、教育委員会が一定の役割を担ってくれます。たとえば探究活動の方向性なども、教育委員会主導で進められることが多いですよね。

一方、私立学校にはそのような上部組織がありません。ですから、教育委員会が行うような仕事も自分たちで進めなければならない。

これが私立学校の大きな特徴であり、同時に悩ましい部分でもあります。

さらに、部活動の運営など、教育本来の業務以外にもさまざまな仕事が増えています。

そうした中で、これらの多岐にわたる業務を整理し、まとめて推進していくのが私の役割です。

私の仕事の一つは、高大連携の調整(合同協議会への参加)、そして教員採用・広報活動の統括です。

この年になってもまだ現場で動いております(笑)。また、先生方の相談役というのも大きな役割です。

日々、教員の皆さんが抱える悩みや不満を聞き、必要に応じて校長や教頭に橋渡しをしています。

副校長や教頭といった立場ではなかなか言えなかったことも、今の立場だからこそ柔らかく伝えられる部分があります。

「文句があるときはまず私を通して言いなさい」と伝えておくと、学校全体の風通しも良くなるんですね。

ただし、この教育支援センターの仕事は「見えにくい仕事」が多いのも事実です。

今日の講演では、そのような「見えない支援」をどう機能させていくかという観点も含めて、お話ししていきたいと思います。

今日は、皆さん「仲間内」での集まりです。どうぞ気軽に、疑問や意見をどんどん出してください。

「これ、ちょっとおかしいんじゃないかな?」とか、「よく分からないな」と思うことがあれば、遠慮なく言っていただきたいと思います。そうしたやり取りの中で、私たち自身も学びを深めることができますし、お互いに理解を広げるきっかけにもなると思っています。

普段の研究会では、大学の先生や文部科学省の方など、いわゆる“専門家”をお招きして講演をお願いすることが多いのですが、今回はそうではありません。本当に同じ現場で奮闘している仲間同士の勉強会です。だからこそ、忌憚(きたん)のない意見交換ができる場にしたいと思っています。

分からないことがあれば、どんどん質問してください。もし私に分からないことがあっても、そのときは正直に「分かりません」と申し上げます。

今日はお互いに、本音で語り合う時間にしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

なぜいま探究学習が必要なのか 教育は「サービス業」から「クリエイティブ産業」へ

それでは、ここからお話を始めさせていただきます。

今日のテーマは大きく三つありますが、まず最初にお話ししたいのは「なぜ探究学習が必要なのか」という点です。

これは、実は非常に本質的な問いだと思っています。

というのも、多くの学校ではこう考えています。

「探究活動なんてやらなくてもいい」「そんなことよりも大学進学に直結する勉強をした方が結果が出る」と。

“結果”というのは、偏差値や大学進学実績といった、いわゆる「分かりやすい成果」のことですね。

確かに、短期的にはその方が目に見える成果を出しやすいのかもしれません。

では、なぜ順天ではあえて探究学習に力を入れているのか。

そこには、「今の社会において、なぜ探究が必要なのか」という根本的な意識があります。

この背景を理解しないままでは、「探究なんて面倒だ」「意味があるのか」と感じてしまうでしょう。

ですから、まずその必要性からお話ししたいと思います。

少し理論的な話になりますが、「リチャード・フロリダ」という方をご存じでしょうか。 

彼は20世紀のアメリカにおけるクリエイティブ産業の成長を分析した経済学者です。

彼の指摘によれば、21世紀の社会では、一次産業(農業)や二次産業(製造業)が減少するだけでなく、第三次産業、つまりサービス業も次第に縮小し、代わってクリエイティブ産業が中心的な役割を担うようになる、というのです。

ここで少し考えてみてください。

教員という仕事は、どの産業に分類されるでしょうか。

実は「サービス業」なんです。特に私立学校の教員は、教育サービスを提供する側として扱われます。

学校全体で職員が100名を超えることも多く、労働法上も「大企業」に該当するケースがあります。

そのため、労務管理の上では非常に複雑な側面もあるのです。

しかし私たちは、「教育は単なるサービス業ではない」と考えています。

順天学園では、「教育はクリエイティブ産業である」と捉えています。

なぜなら、授業を設計し、学びの場を創り出し、生徒一人ひとりの成長を支えるという仕事は、まさに「創造(Creative)」の連続だからです。授業をつくるのも創造。

生徒を導くのも創造。新しい教育方針を立てるのも創造です。

教育は「サービス」ではなく、「創造を生み出す営み」であるべきだと考えています。つまり、まずは教員自身がクリエイティブであることが重要であると思います。

では、どうすれば教員自身がクリエイティブになれるのでしょうか。

その答えが、まさに「探究心」です。

探究心を持たない限り、創造的な発想や行動は生まれません。

探究学習とは、生徒に新しい視点を与えるだけでなく、教員自身が変わる契機でもあるのです。

AI時代における教育の役割

今、世界はAI(人工知能)の急速な進化によって劇的に変化しています。「ChatGPT」の登場は、その象徴的な出来事でした。想像していたよりも早く、人工知能が私たちの日常に入り込んできました。

アメリカの技術者ゴードン・ムーアが唱えた「ムーアの法則」によると、コンピュータの性能はおよそ18~24か月ごとに倍増していくとされています。このまま進化が続けば、2045年にはシンギュラリティ(技術的特異点)が到来し、人間の知識や思考力がAIに追いつかれる、あるいは凌駕されると予測されています。

そうなると、「知識」そのものではAIに勝てない時代が来るのです。

すでに今の時点でも、生徒がChatGPTを使って宿題を仕上げるようなことが現実に起きています。 

つまり、単に「知識を教える」だけでは、人間の存在価値を示すことが難しくなっているのです。

今後は、人間しか持ち得ない創造力・探究力・想像力がますます重要になります。AIがルーチンワークを担うようになれば、「考える力」「新しい価値を生み出す力」を持つ人だけが仕事を創り出していく時代になります。

ですから、探究学習は単なる教育の一要素ではなく、AI時代を生き抜くための「人間の力」を育てる教育そのものなのです。

残る仕事に共通する二つの資質

こちらの写真にあるのは、IBMの量子コンピュータです。

日本でも富士通などが「光コンピュータ」と呼ばれる新しいタイプの量子計算機を開発しています。

これらは既存のスーパーコンピュータの何百万倍もの計算速度を持つと言われています。こうした技術が一般化していくと、私たちの社会は今とは比べものにならないスピードで進化していくでしょう。つまり、AIや量子技術の進歩によって、これまで人間が担ってきた多くの仕事が変わっていくということです。

では、「どんな仕事が残るのか」という問いが次に浮かび上がります。

このグラフは、オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン教授らが示した「雇用の未来予測」です。

 AIによって自動化されにくい仕事の特徴として、残る職業の共通点が明確に示されています。それが、「創造性(Creativity)」と「社会性(Social Intelligence)」の二つです。

機械やAIは、既にある情報をもとに正確な処理をすることは得意です。

しかし、人間のように「発想を生み出す力」や「他者と共感し協働する力」はまだ十分ではありません。

これからの時代に残る仕事とは、まさに人間らしさを発揮できる仕事なのです。

グラフの中で、緑や青の部分は自動化の可能性が高く、将来的に減っていく職種を示しています。

一方で、赤やオレンジの領域に位置する仕事、つまり創造的・社会的な分野が今後も生き残っていく分野です。

教育はまさにこの赤いゾーンに位置する仕事であり、人間の創造性と社会性を扱う職業の代表格といえます。

「知識」だけでは生き残れない時代へ

もちろん、知識は基礎として不可欠です。創造性の土台には知識が必要ですし、社会性を発揮するためには社会の仕組みや歴史、倫理などを理解している必要があります。

しかし、「暗記」だけに頼る学習では、AI時代を生き抜くことはできません。これからは、知識をどう活かし、どう新しい価値を生み出すかが問われます。

リチャード・フロリダ氏は、こうした時代の転換を「クリエイティブ・エコノミー」と呼びました。また、経産省の「働き方改革100年計画」などにも彼の考え方が取り入れられています。彼は「これからの社会では、一人ひとりが専門知識や技術を学び続ける力を持つことが不可欠になる」と述べています。

つまり、大学や学校で学んだ知識だけで一生を生き抜くことはもうできません。これからは、社会に出てからも常に学び続け、自分の知識をアップデートし続ける必要があります。この力を、私は「自走する力」と呼んでいます。20歳までに人から教わる学びは一段落します。その後の60~70年間は、自分で学び続ける力がなければ、社会から取り残されてしまう時代になります。

この「自走する力」を育てることこそ、探究教育の本質でもあります。東京大学の上野先生(上野 千鶴子氏)が入学式の祝辞(2019年)で、こうおっしゃいました。

「大学とは、教えてもらう場所ではなく、自分で未知を見つけ出す場所である。」まさにその通りです。

大学や教育とは、すでに誰かが知っていることを学ぶ場ではなく、「まだ誰も知らないことを自ら見つけ、考える場」であるべきなのです。その意味でも、探究学習は単なる教育の一部ではなく、学びの中心に位置づけられるべきだと思います。

もう一つ大切なことがあります。それは、人と人とのつながりです。友人関係や人脈といった「人間関係を育む力」は、AIやロボットには決してできないことです。つまり、社会性・人間性こそが人間を人間たらしめる力なのです。

最近、テレビの特集でも紹介されていましたが、なぜ人間がここまで進化できたのか、その理由の一つが「共生力」、すなわち「ともに生きる力」にあるそうです。

人間はコミュニケーションを通じて協力し、社会を築き上げてきました。もちろん、その能力が時に戦争のような悲しい結果を招くこともありますが、それでも他者とつながり、協働しながら進化してきたという点が、人類の本質だといえるでしょう。だからこそ、AI時代になればなるほど、この人間関係を築く力、社会的な共感力はますます重要になります。

次に大事なのは、創造的に何かを生み出す力です。「創造性」と聞くと、「何か芸術的なものを作ること」と思われがちですが、実際には、問題を見つけ、解決する力も創造の一つです。

課題を発見し、それをより良い形に解決していく、この繰り返しが、創造的な活動の本質です。そうした創造力こそが、これからの社会で質の高い働き方を支える基盤となります。この考え方は、実は今から30年以上前、1990年代にすでに予見されていました。

当時はまだ夢物語のように聞こえた「創造的社会」の到来が、今まさに現実になっているのです。 

世界競争力ランキングの衝撃

ここで少しデータを見てみましょう。世界競争力ランキングによると、1989年いわゆるバブル期の日本は世界No.1でした。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代です。

しかし、現在の日本はどうでしょうか。OECD諸国の中でも最下位にまで落ち込んでいます。この30年間で、何が起きたのでしょうか。

私は、教育に問題があったのではないかと考えています。もし教育が健全に機能していたなら、ここまでの地位低下は起こらなかったはずです。

OECDが実施するPISA(国際学力調査)の結果を見ても、興味深い傾向が見られます。日本の15歳、つまり中学3年生の時点では、読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシーのいずれも世界トップレベルに位置しています。しかし、大学卒業後にはその順位が大きく下がってしまう。では、どこに問題があるのか。

明らかに、高校・大学の教育に課題があるとしか言いようがありません。知識は高いのに、社会に出たときに活かせていない。

知識を使いこなす力、他者と協働して価値を生み出す力が育っていないのです。

この点を、「いやいや、学生が悪いんだ」「今の若者は努力が足りない」と片づけてしまうのは簡単です。しかし、それでは何も変わりません。

この現状を変えるためには、知識の詰め込み型教育から、「探究的な学び(自ら問い、考え、協働し、創造する学び)」へ転換する必要があります。そうしなければ、AI時代の中で日本の若者たちはますます不利になってしまうでしょう。

むしろ、教育の在り方そのものを見直さなければならないと私は思います。私たち教育者は、自分たちの教え方、評価の仕方に問題がなかったかを真摯に見つめ直す必要があります。

偏差値教育という“順番づけ”の文化

この問題を早くから指摘していた人がいます。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本をご存じの方も多いと思います。著者のエズラ・ヴォーゲル氏は、1980年代にすでにこう警告していました。「日本の強みは柔軟性にある。しかし、偏差値教育が進むと、その柔軟さが失われていく。」

偏差値教育とは、突き詰めれば「順番をつける教育」です。美しい言葉で言い換えられていますが、要するに「一番から最後まで番号を振る教育」なのです。東大入試を例にすれば分かりやすいでしょう。定員が決まっている以上、上から順に合格者を決める。これが日本の入試の基本構造です。

一方、欧米の大学は到達度評価を重視します。一定の水準に達していれば合格、そうでなければ不合格。だから、年によって合格者が多い年もあれば少ない年もある。「基準を満たせば誰でもチャンスがある」という考え方です。

しかし日本では、文部科学省の「定員厳格化」があり、「合格者数を定員の5%以上増やしてはならない」といったルールが存在します。この仕組みの中で、教育が本来の目的を見失い、「順番をつけること」が目的になってしまったのです。

日本人は「公平性」という言葉に非常に敏感です。しかし、その公平性の捉え方が、時に教育を窮屈にしてしまっています。たとえば、野球を観戦するとき、背の高い人と低い人がいたら、低い人には台を用意してもいいのではないでしょうか。

それが「公正(Equity)」という考え方です。ところが日本では、「全員が同じ高さの地面に立つことが公平(Equality)」だと考えがちです。

結果として、低い人が見えなくても「仕方ない」と片づけてしまう。これが、日本社会の「平等潔癖性」とでも言える特徴です。

たとえば私の学校にも「帰国生」の生徒がいます。英語は得意で英検準1級を持っているような生徒でも、日本語や数学になると成績が伸び悩むことがあります。そうしたとき、「点数が低いからダメだ」と一律に評価してしまうこれが、順番づけ教育の弊害です。

一方で、サレジアン国際学園(旧・星美学園)では、外国語しか話せない生徒に対しても個人内評価を重視し、学びの過程を丁寧に見て評価しているそうです。結果として、そうした生徒たちは自信を取り戻し、学習意欲を高めています。

逆に、日本の学校では「できない」と決めつけられた瞬間に、生徒が自信を失い、学びへの意欲を失ってしまうことが多い。こうした構造こそ、私たち教育現場が変えなければならない部分だと思います。

今後、日本にはさらに多くの外国にルーツを持つ子どもたちが入ってきます。出生数が減少し続ける中、多文化共生の教育は避けて通れません。

アメリカでは、各学校に多言語教育の専門スタッフが配置され、スペイン語圏の子どももアジア系の子どもも、同じように教育を受けられる仕組みがあります。この懐の深さが、社会の活力につながっているのです。

一方、日本はまだ「異なるものを排除する」傾向が強い。「来てほしくない」「対応が面倒」といった空気が残っています。しかし、これからの教育はそうした壁を取り払い、一人ひとりの違いを尊重しながら学びを支える方向へ転換する必要があるのです。

探究学習とは何か

そもそも「探究学習」とは何でしょうか。

これは、皆さんよくご存じのテーマだと思いますが、あえて基本から整理してみたいと思います。

新しい学習指導要領のもとで、教育の在り方が大きく変わりました。従来の学校教育は、「何を学ぶか」「どのように学ぶか」つまり手段に重点が置かれていました。 

最近では「アクティブラーニングを導入しています」と掲げる学校も増えていますが、アクティブラーニング自体は目的ではなく手段にすぎません。

本来、教育の目的は「何ができるようになるか」にあります。

どの段階まで力を身につけられたか、その成果(到達)こそが目的なのです。

日本の教育では、この手段と目的の混同がしばしば見られます。「うちはアクティブラーニングをやっています」という言葉で満足してしまうのは、「方法ができている」だけで、「成果が伴っている」とは限らないのです。

多くの学校では、「これだけ履修している」「こういう授業形態を導入している」といった「外見」を重視しがちです。しかし、本当に問われるべきは、生徒がどのように成長したかという中身です。

つまり、「学びの実」があるかどうか。

これからの教育は、外形的なカリキュラムよりも、「生徒が身につけた力」に焦点を当てるべきだと思います。

新しい学習指導要領の核心

文部科学省は新指導要領の中で、次の三つを柱として掲げています。

1. 学びに向かう力・人間性の涵養

生涯にわたって学び続ける姿勢、自ら課題を見つけ、学びを人生や社会に活かそうとする態度を育てること。これは、以前にお話しした「自走する力」と深くつながります。

2. 生きて働く知識・技能の習得

知識や技能は基礎であり、軽視してよいものではありません。むしろ探究のためには確かな知識が必要です。ただし、ここで止まってはいけない。知識を“使える力”に転換することが大切です。

3. 思考力・判断力・表現力の育成

未知の課題に直面したとき、自ら考え、判断し、行動できる力。これがまさに「探究」の中核です。東日本大震災のような予期せぬ出来事に直面しても、自分の頭で考え、行動できる人を育てることが求められています。

「思考力・判断力・表現力」そして「学びに向かう力・人間性の涵養」こそ、まさに探究的な学びが育む領域です。従来型の授業(知識・技能中心)だけでは、ここを伸ばすことは難しい。だからこそ「探究学習」が必要なのです。 

「順天」の探究教育 ― 創造・対話・人間関係

では、順天ではどのように取り組んでいるのか。私たちは「探究」という言葉を、単なる活動名ではなく資質・能力を育てる営みとして位置づけています。

具体的には、次の三つの力を重点的に育成しています。

「創造的な学力」「国際対話力」「人間関係力」

これらの力を備えてこそ、社会の中で本当に活躍できる人材になります。特に国際社会では、「知識量」よりも「人としての総合力」が問われる時代です。探究学習は、その総合力を育てる最も有効な方法だと私たちは考えています。

私たち順天学園では、日々「どうしたらより良い探究教育ができるか」を模索しています。

こちらは本校のパンフレットにも掲載している内容ですが、私自身が考えた教育の骨格でもあります。

本校の教育は、進学教育・国際教育・福祉(ボランティア)教育の三本を柱としています。

これらはいずれも本校の特色教育ですが、ここで強調したいのはこれらは目的ではなく手段だということです。

進学教育を「大学合格のための教育」として終わらせてしまえば、大学入学後に学びが止まってしまいます。本来は、大学に進んでからが学びの本番です。探究活動を通して大学での研究につなげ、そして社会で未来を創る人になってほしい、それが私たちの願いです。

私たちは現在、「探究活動から研究へ、研究から未来を創る人へ」というキャッチフレーズを掲げています。高校での探究活動を足がかりに、大学での専門的な研究につなげ、やがて社会に出て課題解決や価値創造を担う人材になる。そうした学びの流れを意識した教育を目指しています。

「世界を変える人」というと大げさに聞こえるかもしれません。でも実際には、身の回りの小さな問題を自ら解決できる人になることが、その第一歩です。家庭の中、クラスの中、地域の中の小さな課題に気づき、自ら考えて行動できる人。

そうした人こそが、やがて社会を変える力を持つと考えています。

探究と「調べ学習」の違い

探究学習という言葉をよく耳にしますが、「調べ学習」とは明確に異なります。 

確かに、調べ学習は探究への入り口になります。

しかし、決定的に違うのはテーマ設定の主体です。

調べ学習はあらかじめテーマが与えられて、それについて調べてる学習です。探究の手がかりにはなりますが、これだけでは探究とはいえない。では探究とは何かというと、自ら仮説を立てそれを検証していくことです。

例えば中学1年生では「富士山丸ごと調べよう」というテーマを与えています。

これはいわば「調べ学習」の段階です。

しかし、学びを進めるうちに生徒からこんな声が出てきます。

「なぜ富士五湖は北側にしかないの?」「南側には湖がないのはどうして?」

この瞬間、学びが「探究」へと変わるのです。

教師が答えを与えるのではなく、生徒が自ら仮説を立て、「もしかしたら湧水の関係かも」「地質が違うのでは?」と考え始める。ここが探究の核心です。

探究とは、「課題を見つけ、仮説を立て、それを検証すること」です。このうち最も難しいのが、課題発見と仮説設定です。順天でも、年間の探究活動のうち半分近くの時間を仮説づくりに費やすことがあります。

この段階では、生徒たちはしばしば行き詰まります。教師としては助け船を出したくなるものですが、そこをぐっとこらえる。生徒が自分の力で問いを見つけ出すまで待つことが探究教育では重要です。

印象的な事例があります。ある生徒が「花粉症を治すにはどうしたらよいか」というテーマを立てました。

最初は「乳酸菌が効くのでは」と調べ始めましたが、途中で「酪酸菌(らくさんきん)」に注目しました。

酪酸菌はぬか漬けに含まれており、古漬けほど多いということを知り、「古漬けを食べると花粉症が軽減するのでは?」と仮説を立てました。実際に試してみたところ、本人いわく「少し良くなった気がする」とのこと(笑)。

後日、東大医学部の先生方にお話を伺うと、「私たちも酪酸菌を毎日摂っています」とおっしゃっていたそうです。

つまり、生徒の発想が研究者の実践と偶然一致していた。これはまさに生徒の探究が本物の科学的思考に至った瞬間だと感じました。

探究の流れと評価の重要性

評価は、探究活動において最も難しい部分の一つです。

発表を終えて満足してしまいがちですが、評価と自己省察がなければ次の探究につながらない。この「評価の在り方」については、後ほど改めて詳しく触れたいと思います。もうすでに「総合的な探究の時間」は始まっています。つまり、評価をしなければならないのです。学習指導要領にも明記されており、評価を書かかなければいけません。したがって、私たち教育者は「どう評価するか」を真剣に考える必要があります。

ではどのように評価するか。探究は「成果」よりも「過程」を学ぶもの探究の基本的なプロセスは以下の通りです。

課題を発見 → 仮説を設定 → 探究のプロセスを経て → 新たな課題を発見する

探究は一度の試みで完結するものではありません。結果が思うように出なくても、その過程で新たな問いを見つけること自体が成長なのです。

これに対して研究は成果を求められます。大学での研究は、結果が出なければ論文にならず、成果として認められません。一方で、探究は成果が曖昧でも構わない。むしろ大切なのは、試行錯誤のプロセスと検証の姿勢です。

したがって、探究の評価においては「結果」だけで点をつけてはいけません。

「結果がうまく出なかった=評価2」ではなく、「失敗しながらも粘り強く挑戦した=高く評価」とするのが本来の探究教育です。

三つの評価方法

探究を正しく評価するには、従来の「点数」では不十分です。

ここでは、一般的に用いられる三つの方法を紹介します。

①パフォーマンス評価

知識やスキルを実際に使いこなす力を測る評価です。英会話やプレゼンテーションなどの活動が典型です。

日本では、いまだに筆記中心の試験が多く、パフォーマンス評価が苦手です。英語教育を例にすれば、文法のテストで高得点でも「話す」ことができない。これがまさに評価方法の偏りの結果です。「どこまで使いこなせたか」「どのように活用したか」を見ることが本当の評価です。スピーチやディスカッション、探究発表会でのプレゼンなども、このパフォーマンス評価の対象となります。

②ポートフォリオ評価

学びの蓄積を可視化する自己評価型の方法です。生徒自身が、自分の活動記録・レポート・振り返りをデジタルや紙のファイルにまとめていきます。ポイントは、教師が書くのではなく、生徒が自分で記録するということです。自分で成長を振り返り、自ら学びの軌跡を整理する過程そのものが「評価」になるのです。

③ルーブリック評価

ルーブリックとは評価項目と評価基準の2軸からなる学習達成度の評価手法で、テストのみでは評価しづらい定性的な観点を評価することができる手法です。順天学園では、このルーブリックを活用して「総合的な探究の時間」を評価しています。

私自身が約10年前に原案を作成しました(今では少し改訂していますが)。当時はまだ珍しい取り組みでしたが、今では多くの学校で採用されています。

順天では、学校の三本柱である「創造的な学力」「国際対応力」「人間関係力」の三領域に沿って評価を行っています。さらに、それぞれを「スキル」と「マインド」に分けて構成しています。

単に「正解を出したか」ではなく、課題への気づき・複眼的な思考・改善への姿勢を重視しています。

探究報告会では、各教室に評価担当の教員を配置し、発表内容・姿勢・思考の深さをもとにルーブリックで点をつけます(5・4・3・2・1段階)。評価後は、生徒にその結果をフィードバックし、次の探究への改善点を共有します。

探究は「発表して終わり」ではなく、「評価と次の課題設定」で一つのサイクルが完成します。

「総合的な探究の時間」はすでに必履修科目です。つまり、探究の評価はすべての高校で求められる時代になりました。これまでのようにやりっぱなしではなく、学びの過程を丁寧に記録し、的確に評価することが、生徒一人ひとりの学びを深化させる基盤になります。

順天での探究教育の取組

順天学園は全校で約1000名を超える生徒が在籍しています。この人数で「全員が探究を行う」というのは、最初からは難しい。ですから、最初は先行実施クラスを設けて段階的に拡大していきました。

「まず一部でやってみる → 成功事例を横展開 → 全体に広げる」という流れで、数年かけて徐々に定着させていきました。

現在は全員が探究に取り組む体制が整いましたが、まだ完成形ではなく、今も改良と深化を続けています。

また、探究活動を学校内部だけで完結させるのは難しいです。特に「教員の働き方改革」との両立を考えると、外部指導者との連携は不可欠です。企業や大学、NPOが提供する探究支援プログラムも増えていますが、1人あたり数万円の費用がかかるなど、コスト面の壁も大きいのが現実です。「自前で全部やる」ではなく、「外部リソースを上手に取り入れる」という柔軟な発想が、今後は鍵になるだろうと感じています。

中等部の探究 ― 「共生社会探究」 

中等部の探究は「共生社会探究」と名づけています。この言葉には「共生マインド=人間性・社会性を育て、他者と共に生きる力を養う」という意味が込められています。

人間だけが持つ「共生する力」を中学生の段階で育てたい。自分だけでなく周囲を幸せにする。AIにはできない、人と人との関わり、社会への貢献。これをボランティア活動や地域連携学習を通して実現していきます。

とはいえ、なかなな始めからは難しいので1、2年生のうちは調べ学習が中心で、本格的な探究活動は3年生から行います。

例えば1年生は学校行事で行きますので富士山について調べ、2年生は京都・奈良へ行くので事前に歴史や人物について調べてみる。3年生では沖縄に行くので、調べるだけでなくどの部分を切り取って深めるかを生徒に考えさせる(本格的な探究学習の始まり)。

「外来種の駆除」「サンゴの白化」などを題材に、仮説を立てて調べ、発表まで行います。

ある生徒は、「サンゴ礁の白化はサンオイル中の化学物質が原因では?」という仮説を立てて研究を進めました。この発想が高く評価され、筑波大学の「科学の芽」で入賞、さらに国際大会(クイーンズランドでのグローバルリンク)で世界第2位を獲得しました。

このように、中学段階から現実社会とつながる、社会に貢献するということを意識しているのが特色です。

中等部でも必ず年度末に探究発表会を行います。「うまくいかなくてもいい、まずは発表しよう」と指導しています。

生徒たちはポスターやプレゼンを自作し、1枚のスライドに1テーマをまとめて発表します。

中学生ながら、その完成度の高さに教員が驚くほどです。「これどうやって作ったの?」と教師が逆に聞く場面もあるほどです。

高等部の探究 ― 三つの探究型による学びの深化

順天高校は「理数選抜類型」「英語選抜類型」「特進選抜類型」「一貫選抜類型」の4つの類型に分かれています。探究学習は3つの型から選ぶことができ「総合探究型」「英語探究型」「理数探究型」があります。最も人数が多いのは特進選抜類型の生徒で、多くの生徒は総合探究型を選びます。英語選抜類型の生徒は英語探究型、理数選抜類型の生徒は理数探究型を選択するのが普通です。また一貫選抜型の生徒も多くは総合探究型を選択します。

総合探究型は比較的入りやすく、幅広いテーマを扱えます。一方、英語探究・理数探究は専門性が高く、時間も労力もかかります。  

外部パートナー「ミエタ」の導入

今年から、ミエタという探究支援の外部の業者も利用しています。やはり先生方だけでは1000人規模の学校で探求活動をしていくのは難しいです。先生方の負担を軽減する意味でも外部の業者を利用することも必要です。特に、最初のアプローチ、課題を見つけ仮説を立てるところまでは業者さんの手助けを借りています。

コストは正直重いです。一人あたり年約2万円程。長期的にはノウハウ移転を受けて、いずれ自走率を上げていくつもりです。また、業者を通して探究に取り組んで他の学校とつながりを持てる事もメリットです。

生徒は「難民支援/地域医療・福祉/アプリ制作/空間デザイン・まちづくり」などから選び、グループワークで進めます。前半はミエタの支援できっかけ作り、2学期以降は自走させる設計です。

手応えとして、8割超が肯定的。教員だけで同じ集中度に持っていくのは難しかったと思います。とはいえ、一貫・特進の探求活動はまだ深さが足りない印象。今後はどこで教員が介入して深掘りさせるかを設計していきます。評価は学校側が担います(探究発表会でルーブリック評価、のちに成績化)。

最終的には、3年間の探究要約をデータベース化し、単位認定の裏づけや学校推薦型・総合型選抜の資料に活かします。

ただし、大学入試(総合型選抜等)で直接的に合格の決め手にするには外部コンテスト等の成果が強いのは事実です。

英語選抜は、金曜・土曜の枠で学年を崩して混成チームで動かします。これがポイントで、2年生の背中を1年生に見せる設計。1年で蒔いた種を2年で継ぎ、単年度完結にせず数年にわたって継続して探究を深めていく運用です。

カンボジア教育支援

継続している取り組みの一つとしてカンボジア支援について紹介します。私たちの「カンボジア×教育」は、ある帰国生の挑戦から始まりました。彼女は飛び立て留学JAPANでカンボジアへ渡り、現地の子どもたちに英語を教えました。アメリカの学校で「英語が使えることがキャリアを押し上げる」現実を見てきたからです。日本に戻ってからもオンラインで継続し、刺激を受けた友人も加わり、気づけば10年。コロナで一時中断したものの、今年再び現地に入り、小学校との交流を再開しました。

幸い、JICAでカンボジア駐在経験のある教員が校内にいて、4月構想で8月現地実施というタイトな計画を何とか実現できました。

ザンビアの生理問題:布ナプキン共有から始めるジェンダー課題 

別の例を紹介します。アフリカのザンビアでは、生理用品がないために登校できない女子生徒がいます。オンラインで現地高校生と対話し、私たちは「布ナプキンの共有化」に取り組みました。

製作に必要なスナップボタンが現地で手に入りにくいと分かり、学校最寄りの王子駅前に回収箱を設置。地域の方から何千個というボタンが集まり、現地へ送付。生徒たちは作る・届ける・使ってもらうまでを一貫して実施しました。

余談ですが、この取り組みを通して進学の選択も広がります。ある生徒はAPU(立命館アジア太平洋大学)に進学しました。APUのように留学生比率が高く、授業の多くを英語で行う大学は、人脈と実践が自然に得られる。偏差値ランキングだけでは測れない強みです。

期待する生徒像 自走と社会貢献 

探究で育てたいのは、自走する力と社会貢献マインドです。順天は来年度、北里大学の附属校になります。北里柴三郎の精神である社会貢献に強く共鳴しています。

3/20の究コン(社会課題の解決を題材とした探究コンテスト)では、外部のコンサルタント等が評価に入ります。直近の最優秀は先ほどお話したザンビアの生理問題。

順天の探究はアントレプレナー的ではありますが、あくまで社会貢献が主題です。他校には収益化を重視する起業型の探究もありますが、順天は社会に役立つことを優先する「社会貢献型アントレプレナー」を明確に掲げています。どちらが良いということではなく学校ごとに探究の型を持つことが大事だと思います。

理数探究型の取組 テーマは与えない:先生も一緒に未知へ踏み出す

理数選抜では生徒自身が好きなことをやることを重視しています。つまりテーマを与えません。一番大変なのは先生です。生徒は興味を持ったことを何でも先生に聞いてきます。先生だって全部知っているわけではない。だから一緒に調べようと言える姿勢を大切にしています。

スタートアップして、プチ実験と呼んでいるのですが、小さな実験や発表(ポスター作成)を繰り返して徐々に探究を深めていきます。

また、筑波Science Edege大会は毎年高校1、2年生の理数探究型選択者全員が出場しています。今回は、代表としてオーストラリアで行われる上位大会に招待され、最終的に2位を獲得した生徒もいます。また、国内の高校 生混成女子チームがスイス・ジュネーブの加速器実験に招かれました。先輩の挑戦を引き継ぎ探究を深めた結果です。

理数探究で生徒が口をそろえるのは「忍耐力がついた」。同じ実験を条件を変えて何度もやり直す。失敗の積み重ねに耐え、やり抜く力が育ちます。もちろん思考力・表現力も伸びますが、最後に残るのは自分で決めたテーマを最後までやり切った経験です。これこそが社会を生き抜く重要な力だと思います。

ネットワークと発表文化:Hub校として

順天はSGHネットワークのHubとして、修学旅行や交流の機会に合同探究発表会を開催しています。

聖教学園(大阪)などと相互発表をしたり広島女学院、岡山学芸館との合宿・共同発表を実施。校外の目にさらし、第三者の評価を受ける。発表は終わりではなく始まり。次の改善へとつなげていきます。

生徒は慣れたものでポスター作成や発表などしっかりとやってくれます。探求活動を経て成長を実感できる瞬間です。時間になってしまいましたので私からの発表は以上としたいします。


質疑応答

朋優学院高等学校の佐山と申します。

実は順天高校の卒業生でして、在学中は大変お世話になりました。本日は非常に貴重なお話をありがとうございました。

私の勤務校でも今、理数探究を行っておりまして、今日のご説明は非常に参考になりました。将来的には、理系だけでなく、文系の探究や、福祉分野の探究など、より幅広い分野に広げていけたら面白いのではないかと考えています。しかし現状では、まだ理科・数学の範囲にとどまっており、そこからどう広げていくかに悩んでいます。

先ほどのお話の中で、「順天でも最初は徐々に広げていった」とおっしゃっていましたが、その広げていったプロセスや変遷について、もう少し詳しく教えていただければありがたいです。

うちは先ほども申しましたように、2014年にSGH(スーパーグローバルハイスクール)の指定を受けたことが、一つの大きな転機になりました。

SGHで最初に突きつけられたのが、「探究的な学びを本格的に行わなければならない」ということでした。

SGHのGはグローバルですから、当然そこには英語を使った探究活動が求められます。そこで「英語で探究を行う仕組みを作ろう」と動き始めたのです。

実はその前年には、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)にも挑戦しようと考えていました。私は理科の教員出身でもあり、SSH的な理数探究にも非常に関心がありました。しかしSSHは、施設整備などに多額の費用が必要なんです。たとえば「この規模の実験室が必要です」といった具体的な基準があり、機材・環境整備を含めると、なかなかハードルが高い。その点SGHは施設要件ではなく内容重視。ですから、最終的にはSGHでスタートを切りました。

当時すでに本校には理数選抜クラスがあり、いま皆さんの学校でいう理系クラスのようなものです。4クラス編成のうち、理系クラスでは「理系の探究=SSH的な学び」をやりたいね、という声が出ていました。

ただ、ここで大きな問題になるのがリソースです。探究はどうしても人手がかかる。特に理系探究はお金も時間もかかります。

例えばうちの学校では、総合的な探究の時間を週2時間確保しています(一般的には1時間の学校が多いと思います)。その80人規模のクラスに対して、8名の教員を配置しています。これはかなり贅沢な体制です。正直に言えば、教員にお金をかけているわけです。ですから、これを全校的に一気に広げるのは現実的ではありません。

100人単位の生徒を相手に同じ密度で指導しようとしたら、20人・30人の教員が必要になってしまいます。そうなると、他教科の授業が回らなくなってしまいます。

その一方で、英語選抜の探究は「小櫃(おびつ)先生」という非常に熱心な教員が中心となり、着実に育ててくれました。例えば最初の取り組みでは、静岡県磐田市をフィールドに、「地域農業をどう活性化させるか」というテーマで探究を進めました。

このときは企業(PONPAという会社)や地元自治体とも連携し、高校生が地域課題を考えるというSSH的な体験を英語探究の中で実現しました。もちろん、こうした活動にも一定の費用がかかります。

ですから、理数・英語の両面で少しずつ探究を積み重ねながら、ようやく今の形に広げてきた、というのが正直なところです。教員の持ち時間を増やして対応することは働き方改革に逆行します。したがって、外部の力(民間や大学・企業)を借りながら、学校全体で少しずつ拡張してきました。

つまり「自校完結型では限界がある」。だからこそ、外部との連携を組み込みながら、段階的に広げていく。

これが、順天が理系中心の探究から、英語・総合・社会貢献型へと展開していったプロセスなんです。 

朋優学院の田中と申します。本日は貴重なお話をありがとうございました。私は理科の教員で、現在学校でも探究活動を担当しております。理科の探究の場合、生徒にテーマを自由に選ばせると無理難題を持ってくる生徒がいます。設備・安全面で環境の準備が難しいテーマや、そもそも実現が不可能に近い実験を選んでくる生徒もいます。そういった場合に、学校として・担当教員として、どのように対応しておられるかをお伺いしたいです。

そうですね。まさにおっしゃる通りです。自由にテーマを選ばせると、先生の専門範囲を超えてしまうような研究テーマを選ぶ生徒が必ず出てきます。

そういう場合、うちでは「無理だからやめなさい」とは言わず、できるだけ大学の先生や専門家につなげるようにしています。

本校では毎年「グローバルウィーク」という行事があり、1週間の間におよそ100講座の特別授業を行います。大学や企業などの外部講師を100人近くお招きし、昼から放課後にかけて多彩な分野の講座を実施します。生徒たちは自分の興味関心に合わせて自由に講座を受講し、講師の先生とアドレスを交換したり、質問をしたりして、どんどん自分の世界を広げていく。

つまり、こちらが「ここまでは指導できます」「ここからは無理です」と線を引くのではなく、「自分でつながりをつくっていく力」を育てる。これが探究では非常に大切だと思っています。特に理数系ではこの「つながる力」が大事です。

たとえば、先ほど少し触れた素粒子や雷の研究など、学校の設備だけでは到底できないようなテーマを選ぶ生徒もいます。実際、雷の発生原因を研究していた生徒がいて、「そんなの高校でできるの?」と最初は思いました。

けれども彼は本気で取り組み、大学の研究室にアクセスし、実際に金沢大学や北陸地域のプロジェクトに加わって、「ガンマ線が雷のトリガーになっているのではないか」という仮説を検証する共同実験にまで参加しました。

このように、私たちが「無理じゃないか」と思うことでも、外部との連携次第で実現できてしまうことがある。だからこそ、生徒の可能性には賭けてみるべきだと感じています。実際、大学の研究室に何度も足を運んだ生徒もいます。その子は「自分がやると実験が失敗するのに、先生がやると成功する」と悩んでいましたが、その失敗の過程そのものが探究学習なんですよね。繰り返し押しかけていくので、大学の先生から勘弁してくれと言われながらも、根気強く挑戦し続けて、それはそれでよい経験だったと思います。

一方で、完全に空想的で現実性のないテーマ、つまり理論的にも根拠が乏しいものは、「もう少し現実に戻ってみようか」とやんわり方向を修正します。

特に物理分野は難しいですよね。化学や生物はまだ学校でも扱いやすいのですが、物理はどうしても設備や精度の問題が出てくる。そういうときこそ、「どこかの大学で研究している先生を探して、相談してみたら?」と勧めます。今はインターネットで調べてメール一本で連絡できますからね。そうやって自分のテーマを社会の中に出していくことが、高校探究の次のステップとして、とても重要だと思います。 

私、ニッセイエージェンシーの関田と申します。本日は学校関係者ではなく、企業側の立場から参加させていただいております。弊社でも「教育に関わる人をどう支援するか」というテーマを扱っておりまして、特に印象に残ったのが、探究的な学びの“0から1”の部分です。先生方は、ある程度能力のある生徒に対しては、5を10に伸ばすような支援、つまり、テーマやきっかけを与えることで、生徒自身が自走していく支援は比較的やりやすいと思うんです。しかし、一方で「0の状態」つまり、何をどう始めていいかも分からない生徒たちに、どうやって最初の一歩を踏み出させるか。この0から1をどう育てるかというのが、今日の大きなテーマの一つでもあると感じました。実際に現場で探究学習を指導されている先生方は、「0の生徒」を前にしたときに、どこから、何を手がかりにすればいいのかその具体的なきっかけ作りの部分で非常に悩まれているのではないかと思います。「0から1」をどう生み出していけばよいのか、そのヒントをいただければと思います。

よく分かります。まさに0から1の部分、つまり最初のきっかけ作りが一番難しいんですよね。

うちでも、まずは調べ学習的なところからスタートさせます。いきなり仮説を立てさせたり、課題を発見させようとしても、基礎知識がないと深められませんから。だから最初は、「気になったことをとことん調べてみよう」と言います。すると、調べていくうちに必ず分からない壁にぶつかるんです。「じゃあ、その分からないことをもう少し調べてみよう」「他の資料や論文を読んでみよう」「詳しい人に聞いてみよう」そうやって知識を深めながら探究していく。これを繰り返すと、自然に“1”に近づいていきます。

能力というのは人それぞれですが、私が一番大事だと思うのは「知的好奇心」です。知的好奇心さえあれば、たとえ学力的に少し劣っていても、探究は進んでいきます。逆に、好奇心がまったくない子を探究型にするのは、正直なところとても難しい。だからこそ、まずは興味の芽をどう見つけさせるか。

そしてそれを少しずつ深堀りしていく中で、「もっと知りたい」「自分で確かめたい」という気持ちを引き出すことが大切です。私が印象に残っている例として、NHKで昨年放送された「宙わたる教室」というドラマがありました。定時制高校の生徒たちが、なんと火星のクレーター模型を作ったという実話をもとにした話です。

その生徒たちは、最初は勉強が得意ではなかったそうです。それでも、自分たちのアイデアを形にしていく中で、JAXAが実際にそのアイデアを採用した。これは0から1の素晴らしい成功例ですよね。

そういう姿を見ると、「どんな環境でも、きっかけさえあれば探究は生まれる」と強く感じます。ですから、学校でもまずは1人でも2人でも火がつく子を出すことが大事です。そういう子が出てくると、その情熱が周囲に伝染していくんです。

「知的好奇心のない子をどう育てるか?」と聞かれると、正直私も答えに詰まります。

けれども、好奇心さえあれば、能力差は問題ではない。

興味を刺激する体験をさせ、自信を持たせてやることで、そこから周囲に広がっていくような探究の文化が生まれるのだと思います。


参加者全員で記念撮影